Touch The World

青年海外協力隊2017年度2次隊でエチオピアに行ってきます!!

【Day3】06/10/2017(Fri)①

 3日目

朝4:30起床。
昨晩は寝るのが早かった。睡眠時間は8時間程度。
酸素が薄いと睡眠が浅いと聞いたが、そうかもしれない…。
疲れが取れた気はしない。しかし、これ以上眠れる気分でもなかった。

シャワーを浴びた。
昨日はお湯が出なくてあきらめたシャワー(笑)
昨日、お湯のスイッチを入れてあったので、1~2分でお湯が出た。
しかし水圧は低い。シャワーを浴び終える前に、お湯が少なくなってきたのか、さらに水圧が弱まった気がする。シャワールームは浴室の角にあり、丸くドアが閉まるようになっている。きちんとしまったように見えたが、終えると水浸しになっていた…(笑)上からまき出るほどの水圧はないし、扉も閉まっていたので、どこかから漏れたのだろう。お風呂マットで床をふいた(笑)

風呂上りのせいもあるかもしれないが、かなり寒い。
昨晩、インジェラを食べに行くときにも寒かった。
日本の晩夏から初秋といったところだ。

朝5:00

 

外から大きな放送が聞こえる。
男性の声で何か歌のようなものを歌っている。
何を言っているのかはもちろん分からない。
恐らくイスラム教のお祈りに関するものだろう。
5分程度で終わった。

Wi-Fi

 

今日の出勤は9:00。時間があるので、昨日撮った写真をLINEアルバムにアップした。
52枚もあるので長い。52枚アップするのに1時間かかった(笑)
やはりネットは弱い…(><)
イライラしそうだ…(笑)

朝7:00

 

朝食のいい匂いが部屋の外からしてきた。
このホテルは食堂がないので、朝食は室内に運ばれてくる。
明るくなってきたのでカーテンを開けて街を見まわしてみた。
ココは4階。日本的に言えば5階。
人々の朝の営みが見える。
朝早くからみんな動き始めていた。
ホテルの周りには個人商店も多い。店先をホウキで掃いていた。
クルマ通りも多い。
フィリピンは5秒に一回クラクションを鳴らすのでうるさいし怖かったが、
エチオピアの道路事情は今のところ悪くない。
横断歩道があまりないのだが、横断しようと様子を見ていると結構止まってくれる

 

 

ホテルの朝食!

 

7:30過ぎ。
部屋の電話が鳴った。朝食ができたので、部屋のドアを開けてくれとのこと。
目玉焼きとトーストとマンゴーチマキ(ジュースのこと)とコーンフレークとコーヒーだった。目玉焼きは昨日オーダーした通り、野菜も刻んだものが入っていた。エチオピアの香辛料は青唐辛子なのかもしれない。昨日のイエメン料理にも入っていたし、今日の目玉焼きにも入っていた。油との相性が良く、とてもおいしい。目玉焼きは少し油っぽかったがおいしかった。

トーストにはバターとハニーがついていた。
バターの皿には、なぜか水が…。冷たいバターを乗せたからだろうか…。
少し気になる…(笑)

コーンフレークの触感は、日本のものと違い、噛むと少し歯にくっつく。
ミルクを入れて食べた。ミルクの味も少しだけ違う。若干薄いかもしれない。

コーヒーはさすが本場。
スッキリとした味わい。後味もさっぱりしている。ストレートで飲むのが良さそう。
魔法瓶500ミリボトルにたっぷり入れてくれていた。

マンゴーチマキは昨日のストロベリーに比べると感動が薄い。
甘さがなかったからあろうか。でもフレッシュな香りがして、とてもおいしかった。

2度目の出勤

9:00にホテルにJICAカーが迎えに来た。
出勤途中にスラムを見る。長屋をカーテンで仕切っていた。
朝晩は寒くないのだろうか?

昨日に続き、オリエンテーション
午前中は担当していただく調整員(協力隊のサポート役)と私たち隊員との自己紹介の時間。応募試験の時には言わなかった本音ベースの志望動機を聞かせてくれと言われ、ざっくばらんな時間となった。
エチオピアに現在いる調整員は3名。活動している隊員は60名を超える。
調整員はかなり大変な仕事なようだ。

みんなの志望動機を改めて聞いて、身が引き締まる思いがした。

みんなの志望動機

 

例えば、小学校教育の隊員。
新卒で、協力隊に参加しているため、先生の経験はない。
ただ、現在の学校の先生は、自分たちにできることしかしていない。
児童・生徒に良いと分かっていても、面倒くさくてしていないこともたくさんあるのでは?そういう雰囲気を変えていくために、厳しい環境で力をつけようと、協力隊に参加したとのこと。

例えば、自転車競技の隊員。
競輪の世界でプロを目指していたが、学生の頃にケガで断念。
サポートに回ることにした。トレーナーとしての勉強を積むうちに、自分のしてきた練習が無意味だったと分かり、ショックを受ける。正しいトレーニングで、夢を諦める人を減らしたい。自転車競技の発達した日本ではただのトレーナーでも、これから発展するエチオピアなら国レベルで貢献できると思い、参加。

例えば、水の防衛隊の隊員
学生時代にボランティアに参加し、とても充実した時間を過ごした。
卒業と同時に就職はしたものの、まだ自分のなかでやり残した感があり、
もう一度何かに挑戦したいと思っていた。今なら、英語も少しは話せるし、営業力もついた。昔に比べて役に立てると思い、参加した。

例えば、理科教師の隊員。
子どものころから学校はエスカレーター方式で進学。就職にも特に苦労はしなかった。ある日、同僚に「夢は何?」と聞かれて、夢の無い自分に気づかされる。夢探しをしていくうちに、協力隊のポスターを見つけ、心機一転挑戦することにした。

例えば、コミュニティ開発(会計)の隊員。
銀行に4年勤める。もともと国際協力に興味はあったものの、真剣に取り組む機会のないまま、今日まで来ている。4年勤めて会社内での将来像が見えてきた。帰国後の転職も含め30までに人生をやり直すなら今しかないと思い、昔から興味のあった国際協力の入り口である協力隊に参加。

【Day2】05/10/2017(Thu) ③

初Dinner!

 

17:45
みんなで、『インジェラ』を食べに出かけた。
インジェラ』とはエチオピアの主食!見た目は大きなクレープに似ている。
触感はパンケーキのよう。テフと呼ばれる穀物を粉にして、生地を作る。
生地を作る過程で、1か月ほど発酵させるので、強い匂いがして酸っぱい。
しかも発酵したときの気泡で見た目がブツブツしていて気持ち悪い(笑)
ビーフシチューのようなものや豆などを煮詰めたソースにつけて食べる。
基本的にはスパイシーである。

以前に、中目黒にあるエチオピア料理レストランに出かけた。
その時よりも、あっさりしていておいしいと感じた(笑)
ソースはラム肉のものにした。96ブル(約500円)
見た目はチンジャオロースのような感じ。
それを包んで食べる。
エチオピアのビールもオーダー。
青いラベルのもの。20ブル(約100円)
2010年Happy New Year!と書いてある。
そういえば、エチオピアのカレンダーは7年遅れだった。

散策

 

食事を終えて、街を少しだけ散策した。
道に点字ブロックが置いてある。そこまで気の回る街らしい(^^)
しかし、点字ブロックの上にコンクリートの粉の袋が無造作に置いてあったりなど、
まだまだ足りない点もある。
歩道と車道もきちんと分かれている。歩道も比較的広い。
フィリピンと比較してそこまで埃っぽくもない。
しかし、歩道に謎の砂山があったり、電柱が倒れていたりなど、あまりキレイとも言えないし、安全とも言えない。東京の街を綺麗という人は多い。あまり同意したことはないが、こういう街と比較すれば確かに綺麗である。野良犬が多いのも少し気になる。結構大きい。

パン屋さんを見つけたので入ってみた!
シナモンパンが20ブル。つまり100円くらい。
ここでも、値段は東京のパン屋さんを大差ない。

次第に、客引きのような人がついてくるようになった。
19:00ごろ、暗くなったので帰って来た。

就寝

 

ホテルのスタッフはみんな愛想がいい。
こちらの覚えたてのアムハラ語を楽しそうに聞いて、色々と教えてくれる。
英語も通じるので簡単なコミュニケーションなら取れる。
受付の女性はみな、とてもキレイだった。

部屋の整理をした。
今日もらった資料を読んでおこうとも思ったが、ソファーで横になっているうちにねむくなってしまった。10月5日を2回生きたのだ。眠いに決まっている(笑)

20:00ごろ寝た。 

【Day2】05/10/2017(Thu)②

ホテル着

 

ホテル着は朝8:30ごろ。
部屋は思っていたよりも広く、キレイだ。
部屋は4階。しかし、日本の1階に当たる部分は0階とカウントするため、
日本風に言えば5階。
エレベーターを使わずに50キロにも上る荷物を持ち上げるのは結構キツイ…(笑)

チェックインして、部屋に荷物を置いたら、本日のスケジュールについて
軽く打ち合わせ。

11:30より正装でJICA事務所に向かう。
12:00-13:30で昼食。
エチオピア時間で朝の8:30は日本の14:30。

時差ボケについては気にされず、予定が立て込んでいる…(笑)

本日空港より案内してくれている現地調整員の上岡さんによると、
水は煮沸すれば飲めるらしい。
ホテルの近くにある現地語で「スク」と呼ばれる店で水も買えるとのこと。
水をウハという。1リットルで6ブルとのこと。
1ブルは5円。
つまり水1リットルが30円。破格だ…。

休憩

 

9:00ごろから、11:30までの休憩。
荷物の整理をして、お風呂に入って、少し眠ろうと思った。
しかし、お風呂のお湯はスイッチを入れて30分経たないと出ないらしい。
スイッチは入れたが、お風呂に入るのはあきらめた…。

ホテルにはWi-Fiが完備されていた。
思いのほか繋がった。
アディスアベバ空港で撮った写真も友人や家族に送ることができた。

10:30くらいから30分ほど昼寝をした。
眠かったのであまり気にならなかったが、すぐそこで、建設している音がする。
道中でも見たが、建設ラッシュだ…。

JICAエチオピア事務所

 

11:30にJICAカーの迎えが来た。
事務所は、ホテルからクルマで10分程度のところ。
6階と7階がJICAオフィスである。
0階があるので実質7階と8階。
停電するとエレベーターが泊まるので、階段で登った。
アディスアベバは標高2400mにある。富士山の6合目くらい。
酸素が薄いからか、とても息が上がった。

これからの2年間、事務所にはパスポートや貴重品を預けることができる。
現在、エチオピアから他国へは、安全面から空路しか使えない。
つまり必ずアディスアベバを通過するのでわざわざパスポートのためだけに上京するわけではないから先輩隊員もみな預けているとのこと。
貴重品の中にはUSドル・日本円・印鑑・クレジットカード・日本の免許証などが含まれる。

その後、10000ブルの札束を渡された。
約5万円。1か月と少しの生活費に相当するとのこと。

待ちに待ったLunch Time!

 

12:00になりランチタイム。
近くにイエメン料理のレストランがあった。
ナンの薄いものを、ツナ缶のペースト状にしたようなものとオリーブオイルを混ぜたソースにつけ食べる。美味しかった。あとは、タイ米のように細長くぱらぱらした米を、チキンや羊を一緒に炊いたものが出てきた。トマトを刻んだものやバジルのソースなど2種類あり、少量をかけていただく。現地の人たちはこれを素手で食べていた。私たちはスプーンを使った。飲み物にはストロベリージュースを頼んだ。100%しぼりたてのジュースらしい。フルーツジュースのことを「チマキ」という。ストリベリー以外にもいろいろな果物のジュースがある。ミックスすると、コップの中で層を作って提供される。水を混ぜていないので、とても濃く混ぜない限りは分離している。見た目もきれいだった。果物自体の糖度は低いとのこと。砂糖がたくさん使われているのだろうと思った。

食べきれないほど出てきたが、一人250~300ブル程度。1500円くらいだ。
量や味から見れば高くはないが、日本の物価と大差ないことに驚いた。

物価 

 

ちなみに、現在泊っているホテルは一泊5500円とのこと。
広いし設備も整っているので、高いとも思わないが、日本のビジネスホテルと大差ない。
ちなみに、エチオピア隊員が利用するJICA所有のドミトリーは一泊10ブル(50円)

え、安すぎませんか…?(笑)

ブリーフィング開始。

 

14:00~15:00で安全管理のミーティング。
アフリカ諸国と比較すると治安は格段に良いとのこと。
しかし、経済成長の背景には、上がり続ける家賃やそれに対して伸び悩む賃金など、
生活苦が隠れており、政府への不満が募っている。外国人をターゲットにすることはないものの、暴動に巻き込まれるケースは散見されるとのこと。集会やデモが開かれる地区を教えていただいた。なお、首絞め強盗がありすでにJICAスタッフが2名被害に遭っている。こういった被害は20:00~22:00ごろに多く見られる。暗くなったら出歩かない。出歩くなら一人は避ける。近くてもクルマで。などの注意点が挙げられる。

15:15~15:45まで提出物。
パスポートを提出する代わりに、エチオピアに住んでいることを証明ができるIDカードが発給される。エチオピア人も外国人もみなそのIDカードを持っているらしい。そのIDカードを持っていないと、再入国もできない。財布と一緒にしておいてスリにあったら大変だ…。携帯電話が貸与された。プリペイド式で私用に使ってもいいらしい。その他、マニュアルの類のものをたくさん配布された。

16:00より所長との面談。
所長は日本人の男性だった。隊員6人全員で所長室に入室し、お話をいただいた。
エチオピアでの生活について、仕事について、文化についてだった。
エチオピア航空を使ったのは、今回が初めてとのこと。
今後JICAボランティア派遣の際には、優先的に使っていくそう。
サービス面の質を問われたので、正直に安全管理が甘いと指摘した。

着任1日目終了…

 

17:00になり、ホテルまで送迎された。
ホテルの受付で朝食のオーダーをした。
メニュー表があり、そこから自由に選ぶことができる。
卵も、ゆで卵やスクランブルエッグ、目玉焼きやポーチドエッグなど調理法も選べた。
思ったよりも至れり尽くせりである。

【Day2】05/10/2017(Thu) ①

機内泊

 

成田から香港までは5時間くらい。香港で1時間くらい駐機した。
給油している間に、ほかの客がのってきた。真ん中の席が埋まった。
恐らくエチオピア人の女性。大柄だったので、こっちの席が狭くなった(笑)
機内では映画を見ようとか本を読もうと思っていたが、結局大半眠っていた。

結局エチオピア航空のサービスは…?(笑)

 

エチオピア航空のサービスは、悪くもないが良くもない…(汗)
機内食の提供はとてもスムーズだった。
しかし、寝ている客を無理やり起こして機内食を提供していた(笑)
しかも、客が着陸の間ずっとトイレにいても気づかなかった。
その他、あくびをしたり、スマホをいじったり、自由である(笑)
さっそく、日本のおもてなしがどれだけ高品質なのかを感じ取った。

前途多難…!? 

 

エチオピア時間6:40着陸。予定よりも一時間早い。
エチオピアは、現在東アフリカで最大の経済力を誇っている。
首都にあるアディスアベバ国際空港はハブ空港として、世界中の人々が利用している。
空港に着いてからは、係員の誘導に従ったが、どうやら他の客と同様、乗り換え客と勘違いされたらしい…。新たな搭乗ゲートに着いてしまった。

つまり、早速迷ったのだ(笑)

入国できた!?

 

グルグル回った挙句、何人か係員と思われる人にイミグレーションはどこかと聞いてみたら「あっち」と答えるだけ。もう少し詳しく説明を求めても、「あっちに行って下に降りろ」と言われる…。いやいやいや…。分からんって(笑)

 

他の人に聞いてみたら今度は、「そこのセキュリティーゲートから中に入れ」と言われる。これから搭乗しようとしている人が荷物検査を受けているが、そこを逆行しろと…。

ウソでしょ…!?(笑)

仕方ないから従ってみた。
逆行して壁の反対側に着くと免税店がいっぱい!!

うん、確かに入国はした。

しかし…

しかしである…。

これでは、明らかに不法入国だ。
だって、入国審査受けてないもん!(笑)
何より、入国審査受けてからでないと、トランク受け取れないし!

緩い…。緩すぎるよ、エチオピア!(笑)

3人目でやっとエレベーターに案内され、やっと入国審査することができた。

入国審査で…。

 

持っているのは世界最強の日本のパスポート。
しかも、一般旅券ではなく、公用旅券。
外務省員が持っているのと大差ないものである。スムーズに通過できた。
聞かれたのは、滞在先。
ホテルではなくドミトリーだと答えると、電話番号を聞かれ。
知らなかったので、仕方なくJICAエチオピア事務所の番号を伝えた。

いよいよアディスアベバ市内へ!

 

入国審査を終えて、JICAの迎えのクルマに乗り、まずはホテルに向かった。
通常、JICAが所有するドミトリーに案内され、しばらく生活することになる。
しかし今回は、先輩隊員が帰国に伴いドミトリーを利用していることや、今週末にJAPAN FESTIVALが開催されるために、その参加隊員が泊っているとのことで、急きょホテル住まいを余儀なくされた。

道中、首都の町並みをみたが、建設中の建物が多い。
数年前にフィリピンのセブ島に行ったことがある。
同じく成長著しいアジアの途上国だ。
成長中の途上国の見た目はどこも似ているのだなーと、漠然と思った。

大きいビルも、オシャレな人も多く、かなり都会ではあるが、聞かされていた都会感よりは少し劣る。エチオピアの首都アディスアベバは、最近中国資本でモノレールも開通した。写真でヨーロッパにも負けない夜景を見たこともあって、大いに期待していたのだ。

フィリピンと違って、道路事情は良い。
フィリピンでは5秒に一回ドライバーはクラクションを鳴らすが、こっちは静かなものだ。途上国特有の砂ぼこりもない。

【Day1】04102017(Wed) ≪出国日!≫

出国日!

朝は9:00に起きた。
飛行機は21:15。
3時間前の6:15に成田空港 第一ターミナル 南ウイング Iカウンター集合。

出国当日だというのに、実はまだ準備が終わっていなかった(笑)
バタバタと買い物に出かけ、2年分のスケジュール帳と、スニーカー、折畳傘を購入。昼食をとって家に帰り、荷造りをすると、すでに15:00を回っていた。
急いでタクシーに乗り、最寄りの駅から空港へ向かった。

空港には同じくエチオピアに行く仲間が来ていた。
2017年度エチオピア2次隊は全部で6名。男4女2だ。
集合時間になり、JICAスタッフ及びエチオピア航空の営業担当者から説明があった。

エチオピア航空 

エチオピア航空の日本人の営業の女性が来ていた。
日本人の営業がいることにびっくりした。
聞くと、JICAがエチオピア航空を使うのは、今回が初めての事らしい。
サービス面などで不備があれば教えてほしいと頼まれた。
これまではエミレーツを使っていたようだ。
最近エチオピア航空が日本との直行便を就航させたので、使うことにしたのだろう。

実際、大変親切にしていただいた。
Eチケットを引き換える時に、足元の広い席にしてもらった。
非常口の近くだった。通路側。
でも、前の座席がないからポケットはないし、
テレビは下がっているからいつでも充電できる訳では無いし、
不便なので変えなくても良かったかもしれない(笑)

フライト

フライト時間はやく16時間。
途中で香港を経由する。
香港では、給油ならびに新たな乗客を迎える。
その為、成田離陸時には席がまばらだった。
他航空会社との共同便はたまに見るけど、高速バスのように乗り継いでいくのは初めてだ。

【青年海外協力隊 志望動機】

≪中学生の時の経験≫

 

中学まで、埼玉県の新座市に住んでいた。
今はなくなってしまったようだが、以前は市が主催する、「青少年海外派遣」なるものがあった。市内の中学校から数名ずつ選抜し、夏休みを利用して、10日間ほど海外の姉妹都市へ送るのだ。帰国後、今度は向こうから学生が来る。現地ではホームステイをしたり、現地の学校で現地の生徒と一緒に勉強したり、一緒に遊んだりと、大変有意義な時間を過ごした。そんな経験から、海外への興味が生まれ、将来的には外国人と一緒にバリバリ働きたいと思うようになっていた。華々しい自分の将来像を思い描いていた。

≪しかし、高校以降…≫

 

高校は都立の普通科を卒業し、大学も都内の私立大学を卒業。
相変わらず、海外への興味だけはあったものの、就職のための具体的な行動は起こせずにいた。辛うじて、大学では国際経済学科に所属し、他学科に比べれば少し英語の授業を多く受け、学生時代の長い休みを利用して、一人でバックパッカーになったりしたくらいだ。

 ≪いざ、就職活動≫

 

 いよいよ就職活動となった時期にも、海外と言えば、商社…?くらいの認識しかなかった。自分の漠然とした興味をきちんと整理できることなく、とりあえずという思いで、先に受かった大手生保に入社。営業として6年間勤めた。初年度は個人宅の営業、2年目は法人営業。3~5年目は震災直後の岩手県で安否確認をしたり、新人外交員の育成に当たった。6年目は福岡県に転勤し、同じく外交員の育成並びに営業所のマネジメントを担当。

生きていくには申し分のないお給料をいただいていたが、3年目くらいから仕事が肌に合わないと感じ始めていた。きっと一生勤め上げるのは厳しいと。30歳までには何かを変えないといけないと自分の中で締め切りを設けていた。いざ29歳を迎えた時にまだ方向性が定まっていなかったが、とにかく仕事を辞めた。朝から晩までの仕事だったので、実際にゆっくり自分の将来を考える時間などなかった。

≪転機…?≫

 

細かいことは辞めてから考えようとは思っていたものの、もう一度海外に出たいという思いだけは持っていた。結局、学生時代の旅行だけでは満足できず、海外で何かしたいという思いだけはずっと残っていた。なので、辞めてからすぐにフィリピンの語学学校に10週間参加。英語力を基礎から叩き直してもらった。その足で、オーストラリアへ1年間のワーキングホリデーを経験。外国での長期の一人暮らしと、外国での就業経験を積んだ。

 

オーストラリアにいる間に、ふと思った。

日本での仕事は、とても大変だった。ただ、業界の体質には疲れたものの、自分が担当していた仕事は嫌いではなかったなーと。つまり、担当している外交員の営業成績を上げるために、どうするべきか一緒に考えたり、営業に同行したり、さまざまな支援をすることである。人をサポートするのって向いているかもしれないと思った。子どもの頃も、生徒会長よりは副会長のポジションがなんとなく好きだった(笑)

 

仕事をしている6年間で、偶然一冊の本に出合った。山口絵理子 著 『裸でも生きる』。衝撃的な一冊だった。彼女は地方出身の女性で昔はいじめられっ子だった。そんな彼女が中学の時に荒れたり、高校で柔道に打ち込んだり、大学で開発学に興味を持ちドンドン行動に移して、一人で途上国に視察に行ったり、その挙句途上国で大学院を卒業し、一人で起業して、途上国でモノづくりをして雇用を創出している姿に圧倒された。自分にできるかどうかは分からないけど、国際協力という道で生計を立てている人がいることを知った。

 

フィリピンでの語学研修も影響はあった。道路にはストリートチルドレンがあふれ、スラムでは地べたに座って、野良犬と一緒になって食事をしている家族がたくさんいた。彼らを支援しながら生計を立てている人がたくさんいることも知っていた。一冊の本と、フィリピンでの偶然の経験で、どんどん国際協力の方へ引っ張られていった。

 

海外+サポートのキーワードで、国際協力という言葉に出会った。きっとこの言葉をもっと早くに知っていたら、大学もこの分野に進んでいたかもしれないし、大学院にも進学したり留学したかもしれない。

≪まぁ、とりあえず…(笑)≫

 

とにかく、30歳無職の自分が、国際協力の道に入るにはどうすればいいかと調べていると、青年海外協力隊に出会った。

協力隊の存在自体はもともと知っていたし、面白そうだと思ったし、やってみたいとも思っていた。しかし、応募は20歳以降だし、大学を休学して2年間行くのも気が引けたし、卒業後に新卒の権利を捨ててまで行くほどのものかも分からなかったし、そうこうしているうちに卒業が近づき、周りと同じように慌ただしく就職し、日々に忙殺されて、いつしか忘れてしまっていた。

せっかく会社を辞めたのだから、やりたい事をやろう。漠然とはしていても、常に自分の中にあった「海外」というキーワードをもう一度考えてみよう。これまでの社会人生活で積んだ経験もしくは新たに気付いた自分の適性で、昔は思いつかなかったことが今ならできるかもしれない。

そんな思いから、協力隊に応募することに決めた。
今後、国際協力の道を歩み続けるか、一般企業に転職するか、起業するか、NGONPOに入るのか、JICAなどの政府系組織で働くか、細かいことはまだ決めていない。とにかく2年間、これまでの30年の蓄積を総動員して、目の前に困っている人がいるのであれば、自分にできることがあるのかどうか、模索してみたい。

【青年海外協力隊 派遣前訓練 後半戦スタート!】

福島県 二本松市に来ています。
ここには、青年海外協力隊の候補生の訓練所があります。
私たちはここで、70日間の訓練を受けます。

 

昨日は、訓練のちょうど半分、35日が経過しました。
JICAボランティアには、青年海外協力隊とシニア海外ボランティアがあり、
昨日はシニアの方が、訓練を修了され、旅だって行きました。

 

ココでの生活は忙しく、修了式もお別れの立食パーティも昼食の時間に詰め込み、
午後は普通の課業に戻る…。という、強行スケジュール。
涙の修了式の余韻を引きずりながら、課業に戻っていきました。

 

半分が過ぎ、ようやく忙しさの中にも生活のリズムがつかめるようになってきましたので、今後は、ココでの生活を振り返りながら、少しずつご紹介したいと思います。